サッカー欧州選手権・激闘の歴史

サッカー欧州選手権・激闘の歴史

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1972年欧州選手権決勝のソ連戦で、西ドイツのビンマー(右)がチームの3点目を決める。中央はこの日2ゴールを挙げたG・ミュラー。魅力的なサッカーでこの大会を制した西ドイツは2年後、開催国としてW杯に優勝する=1972年6月18日、ベルギー・ブリュッセル【AFP=時事】

 欧州選手権が世界中から注目される大会になったのは、おそらく1972年大会からだろう。テレビ放映がこの大会から全面カラーとなり、人々の記憶にもより鮮明に残るようになった。もう一つ、王者にふさわしいチームが、文句のつけようがない優勝を果たしたことも、72年大会を節目の大会として際立たせる結果となったのではないか。

 この大会で初の欧州制覇を果たした西ドイツは2年前の70年W杯で3位に入り、2年後に自国で迎えた74年W杯では2度目の優勝を果たした。76年の欧州選手権でも準優勝しており、この時期は常に世界トップレベルの力を維持していたことになる。当初はMF、後に後方から攻撃参加もする「リベロ」としてチームをけん引したフランツ・ベッケンバウアー、W杯でも通算14ゴールを奪ったゲルト・ミュラーらを擁し、脇を固めた役者陣にもGKゼップ・マイヤー、DFのベルティ・フォクツやパウル・ブライトナー、MFウリ・ヘーネスら力のある選手が入れ替わりで台頭した。

 ただ、優勝を果たした72年ユーロと74年W杯では、チームの特徴が大きく異なっていた。72年、中盤の軸となったのがギュンター・ネッツァー。66年、70年W杯でレギュラーのゲームメーカーだったウォルフガング・オベラートに代わって定位置をつかみ、長短の華麗なパスを駆使して攻撃を組み立てた。72年の欧州最優秀選手はベッケンバウアー。ミュラーとともに欧州制覇の原動力となったのは間違いないが、72年の西ドイツを象徴する存在として、当時をよく知るファンがまず想起するのは、ネッツァーその人である。

 ネッツァーは2年後の74年W杯でも、当然西ドイツ代表メンバーに名を連ねる。しかし、72年ユーロに続いてオベラートとの「共存」は成立せず、自身の不調もあって控えメンバーに甘んじた。出場したのは東ドイツ戦の約21分間のみ。この試合に敗れた西ドイツは、2年前のヒーロー、ネッツァーへのこだわりに区切りをつけ、オベラートやヘーネス、ライナー・ボンホフらで中盤を構成する布陣に固めて「新たな」スタートを切り、激戦を勝ち抜いて最後には頂点をつかむ。天才パサー・ネッツァーの悲運を惜しむファンの複雑な思いが、72年の西ドイツを「ネッツァーのチーム」として強く記憶させている側面もあろう。

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