77年のシーズン終盤に、監督解任を言い渡された。当時まだ愛人関係にあった沙知代夫人による「チームや選手への口出し」、および度重なる公私混同が理由とされた。彼女は、監督室に出入りするのはもちろん、コーチ会議に口をはさんだり、自らがつくった私的な会に選手夫人の参加を強要するなどした。これに選手らは反発。最終的に、当時のオーナーが大ナタを振るうことになった。野村は、解任劇の陰に鶴岡一人がいるとし、「鶴岡元老にぶっ飛ばされた」と言い放った。

 この時、既に42歳。引退して不思議のない年齢だったが、「このままでは終われない」という気持ちは強かった。ロッテ・金田正一監督の求めに応じ、一捕手として移籍。コーチの高畠導宏も行動をともにした。野村を慕う江夏豊、柏原純一もトレードを希望。慰留に努める球団に抵抗し、野村の自宅に「籠城(ろうじょう)」する騒ぎになった。結局、江夏は広島、柏原は日本ハムへ。監督兼捕手兼四番打者と、後に落合博満らを育てる名コーチ、中軸を打つ好打者、そして抑え投手を一度に失い、南海の戦力は急速に低下した。