幕末人物帳 写真特集

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 清水次郎長

しみずの・じろちょう(1820〜1893)

 本名・山本長五郎。駿河国清水町の廻船業・高木三右衛門の次男として生まれ、叔父の米穀商・山本次郎八の養子となる。呼び名の「次郎長」は「次郎八のところの長五郎」が縮まったとされる。山本家は裕福な商家だったが、養父の死後、博打をめぐる争いで傷害事件を起こして出奔し、博徒の世界に身を投じる。1859(安政6)年、尾張から三河に大きな勢力を張っていた博徒の大物・保下田久六を惨殺したことで名を上げ、故郷の清水に一家を構える。大政、小政ら個性的な子分を使いこなし、幕末までに周辺の敵対勢力を圧倒し、東海道一の大親分として知られるようになる。
 明治維新直後の政情不安な中で、新政府(東征総督府)から清水港周辺の警備を命じられる。86(明治元)年、清水港内で旧幕府と新政府の軍艦が交戦し、幕府側戦死者の遺体が港内を漂流するが、新政府の威光を恐れて放置された。見かねた次郎長が遺体を手厚く葬り、それをとがめられると、「仏に朝敵も官軍もない」と啖呵を切ったエピソードは広く知られる。維新後は富士山麓の開墾など正業に従事するが、84(明治17)年、賭博犯処分規則により逮捕され、服役する。釈放後、清水港で船宿を経営、93(明治26)年に病気で死去。
 画像は、79(明治12)年ごろの撮影とされる写真(国立国会図書館提供) 【時事通信社】

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